アントニオ猪木 年齢年表

スポーツ選手

プロレスラー、実業家、政治家
本名:猪木 完至(いのき かんじ)
新日本プロレスの設立者
キャッチフレーズは「燃える闘魂」
得意技はコブラツイスト、卍固め、延髄斬り
1943年(昭和18年)2月20日生れ
神奈川県横浜市鶴見区出身

アントニオ猪木 年齢年表

0歳 神奈川県横浜市で生れる
13歳 一家でブラジル、サンパウロに移住
17歳 ブラジル遠征中の力道山にスカウトされ帰国。日本プロレスに入団。
猪木完至、本名で大木金太郎相手にリングデビュー。
19歳 リングネームをアントニオ猪木に改名。
20歳 師匠の力道山が死去。
21歳 アメリカへ武者修行に出る。
23歳 日本プロレスを退社し東京プロレスを設立するも失敗。
24歳 日本プロレスへ戻りジャイアント馬場と共に活躍する。
28歳 度重なる確執から日本プロレスから除名・追放される。
女優、倍賞美津子と結婚。
新日本プロレス旗揚げ。
33歳 パキスタンの英雄アクラム・ペールワンと対戦。
ボクシングヘビー級チャンピオン、モハメド・アリと異種格闘技戦で対戦。
37歳 「熊殺し」の異名をとる空手家ウィリー・ウィリアムスと異種格闘技戦で対戦。
40歳 IWGPを立ち上げ。優勝戦でハルク・ホーガンと戦い、ロープ越しのアックスボンバーを受けリングサイドに落下。頭を打って脳震盪を起こし失神KO負けを喫した。
43歳 倍賞美津子と離婚。
45歳 IWGP戦で引退をかけて藤波辰爾と対決。引き分け。
46歳 参議院選挙に当選。現役の第一線からは退く。
51歳 引退への布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まり「1・2・3・ ダァーッ!」の掛け声が生れる。
55歳 引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」が開催。「この道を行けばどうなるものか」で始まる「道」の詩を諳んじるスピーチを行った。
58歳 揉める新日本プロレスのリング上でトークを回す、通称「猪木問答」「猪木御殿」が行われる。
79歳 死去

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