ベーブ・ルース 年齢年表

スポーツ選手

野球選手。メジャーリーガー。
初代二刀流でピッチャーとバッターの両方で活躍した伝説の野球選手。
1914年から1935年まで通算22年間、ボストン・レッドソックス、ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・ブレーブスでプレー。
生涯通算714ホームラン。ホームラン王12回。
投手、外野手。左投左打。
身長約188cm、体重約97キロ。

ベーブ・ルース 年齢年表

0歳 メリーランド州ボルチモアで生れる
7歳 家庭環境に恵まれず非行に走り、手に負えなくなりセント・メアリー少年工業学校という全寮制の矯正学校兼孤児院に送られる。そこで野球に出会う。
19歳 ボルチモア・オリオールズと契約。
ボストン・レッドソックスにトレード移籍。メジャーリーグデビュー。
ヘレン・ウッドフォードと結婚。
20歳 1915年シーズンで先発ローテーション入りし18勝8敗の成績。打者としては打率.315。
レッドソックスはワールドシリーズ優勝を果たすが投手としての登板はなく、打者として1打席ノーヒットのみ。
21歳 1916年シーズンは投手として23勝12敗。防御率1.75。9完封。
レッドソックスはワールドシリーズ2連覇と果たす。ルースは投手として14イニング1失点の成績。
22歳 1917シーズンは投手として24勝13敗。防御率2.01。打者では打率.325。
23歳 1918年シーズンは投手として13勝7敗。防御率2.22。ホームラン11本で初のホームラン王獲得。
メジャーリーグ初の同一年度投手として2桁勝利、打者として2桁ホームランを記録。この記録は2022年に大谷翔平が記録するまで続いた。
24歳 1919年シーズン。29本塁打(当時のMLB記録)。主に野手として130試合に出場。投手登板は17試合。
シーズン終了後ニューヨーク・ヤンキースに金銭トレード。
25歳 1920年シーズン。ヤンキースデビュー。完全に野手に専念し打率.376、54本塁打を記録。
26歳 1921年シーズン。打率.378、59本塁打。
ヤンキース初のリーグ優勝。ワールドシリーズはジャイアンツに敗れる。
27歳 1922年シーズン。打率.315、35本塁打、99打点。
ヤンキースは2年連続でワールドシリーズに進出するが再びジャイアンツに敗れる。
28歳 1923年シーズン。本拠地ヤンキースタジアム完成。第1号ホームランを放つ。
自己最高打率.393を記録。41本塁打。
3年連続でワールドシリーズでジャイアンツと対戦し初のワールドチャンピオンに輝く。
29歳 1924年シーズン。打率.378、46本塁打、121打点で首位打者とホームラン王のタイトルを獲得するも打点は2位で二冠王となる。
30歳 1925年シーズン。体調不良に悩まされるシーズンとなり自己ワーストの打率.290、25本塁打でシーズンを終える。
31歳 1926年シーズン。復調し打率.372、47本塁打、146打点を記録。
ヤンキースはリーグ優勝するもワールドシリーズでカージナルスに敗れる。
32歳 1927年シーズン。打率.356、60本塁打、164打点で4度目のホームラン記録を更新。
ヤンキースは110勝でぶっちぎりでリーグ優勝。ワールドシリーズもパイレーツ相手に4連勝でチャンピオンに。
33歳 1928年シーズン。54本塁打で自身4度目の50本塁打を達成。
ヤンキースは2年連続でワールドシリーズでパイレーツと対戦。初の2年連続4連勝(スウィープ)で優勝。
36歳 1929年~1931年シーズンまで3年連続でホームラン王のタイトルを獲得。
37歳 カブスとのワールドシリーズ第3戦で外野フェンスを指差し「予告ホームラン」を放つ。
38歳 初めて行われたオールスターゲームで第1号ホームランを放つ。
39歳 極東遠征に参加し来日。
40歳 ボストン・ブレーブスに移籍。現役引退。
41歳 アメリカ野球殿堂の最初期メンバー5名のうちの1人に選ばれる。ドジャースのコーチに就任。
53歳 ヤンキース時代の背番号「3」が永久欠番となる。自伝映画「ベーブ・ルース物語」が公開。1948年8月16日ガンで死去。

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