本多静六 年齢年表

文化人・経済人

東京大学教授、林学者、造園家、投資家
明治神宮や日比谷公園などを設計し「公園の父」と呼ばれる。
本多式「四分の一貯金法」で大富豪となるも、定年時にほぼ全財産を寄付。
埼玉県出身。
慶応2年7月2日(1866年8月11日)生れ。

本多静六 年齢年表

0歳 埼玉県三箇村河原井(現埼玉県久喜市菖蒲町)で農家を営む折原家の第6子として生れる。
9歳 父が亡くなる。
14歳 島村泰(元岩槻藩塾長)のもとに書生として住み込み、農繁期は帰省して農作業を手伝う。
17歳 東京山林学校(現東京大学農学部)に入学。第1期試験で落第するも必至に勉強し卒業時には首席となる。
22歳 元彰義隊隊長本多敏三郎の娘・詮子と結婚し婿養子となる。
23歳 大学を卒業し林学を学ぶためドイツへ留学。
25歳 ミュンヘン大学で博士号を取得し帰国。東京大学農学部の助教授に就任。
エリートの帰還と喜ぶ家族に居候が増え家族が9人に。
東大教授の給料だけでは貧乏から脱出できないと考え、「四分の一天引き貯金法」を始める。
26歳 東京専門学校(現早稲田大学)講師に就任。
本業の大学教授とは別に、副業で1日1ページの執筆活動を始める。
32歳 林学博士の学位を取得。
34歳 日比谷公園の設計調査委員に就任。
40歳 「四分の一天引き貯金法」で貯めたお金を株式や山林に投資した結果、貯金利息や株式配当金が大学の給料を超える。
48歳 大日本山林会理事に選任され、明治神宮造営局の参与に就任。
52歳 帝国森林会理事および副会長に就任。
60歳 東京大学を定年退職。必要最小限の財産だけ残し、財産の大半を公共施設などに寄付。
63歳 国立公園調査会の委員に就任。所有している山林を埼玉県に寄付。
71歳 東照宮300年祭記念調査会の委員長に就任。
79歳 終戦後、残しておいた株や現金などの財産を財産税、非戦災者税として没収される。
84歳 「私の財産告白」執筆。
85歳 死去。

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