女子教育者の元祖。日本初の女子留学生の一人。
女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者。
2024年発行の5千円紙幣の肖像画の人物。
1864年12月31日生れ
津田梅子 年齢年表
0歳 江戸の牛込南御徒町(現・東京都新宿区南町)で生れる
6歳 岩倉使節団に随行し、官費女子留学生の一員として渡米。
7歳 ワシントンDCのチャールズ・ランマン家に預けられる。
コレジエト・インスティチュート(私立の初等教育機関)に通い英語やピアノを学ぶ。
8歳 自分の意志でキリスト教の洗礼を受ける。
13歳 コレジエト・インスティチュート卒業。
アーチャー・インスティチュート(私立女学校)へ進学。
ラテン語、フランス語などの語学や英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学ぶ。
ピアノの腕前はかなり上達し人前で披露できるレベルに到達。
17歳 フィラデルフィアの資産家・慈善家であるモリス夫人と出会う。
アーチャー・インスティチュートを卒業し日本へ帰国。
18歳 伊藤博文邸で住み込みの家庭教師として約半年働く。
20歳 伊藤博文の推薦で、学習院女学部から独立して設立された華族女学校で英語教師となる。
24歳 2度目のアメリカ留学。ブリンマー大学で生物学を専攻する。
27歳 ブリンマー大学での修学を終え帰国。華族女学校に復職。
29歳 トーマス・ハント・モーガン博士との共同執筆者の論文「蛙の卵の定位」がイギリスの学術雑誌に掲載され、梅子は欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性となる。
明治女学院講師も務める。
33歳 女子高等師範学校(後の東京女子高等師範学校、現・お茶の水女子大学)教授を兼任。
アメリカのコロラド州デンバーで開催された万国婦人連合大会に日本婦人代表として参加。
3千人の聴衆を前に日本の女子教育について演説し、「小さな日本婦人の演説」と地元紙に掲載され話題となる。
イギリスでナイチンゲールとの面会する。
35歳 「女子英学塾」を開校。
38歳 専門学校令が公布され、「社団法人女子英学塾」となる。
40歳 日本基督教女子青年会(日本YWCA)が創立され会長に就任する。
52歳 体調を崩し塾長職を退く。
64歳 脳出血のため死去。
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