田中角栄 年齢年表

歴史上の人物

政治家、第64・65代内閣総理大臣
新潟県出身
1918年(大正7年)5月4日生れ

田中角栄 年齢年表

0歳 新潟県刈羽郡二田村(現・柏崎市)で生れる。
14歳 二田尋常高等小学校卒業。土木工事の現場で働いた後、柏崎の県土木派遣所に勤める。
15歳 上京。住み込みで働きながら、夜学の中央工学校に通う。
17歳 中央工学校卒業。建築事務所に勤める。
18歳 独立して「共栄建築事務所」を設立。
19歳 徴兵通知が届く。
20歳 満州で兵役に就く。
21歳 陸軍騎兵上等兵となる。
22歳 クルップ性肺炎を発症し送還される。
23歳 徐隊。田中建築事務所を開設。結婚。
24歳 長男誕生。
25歳 長女眞紀子誕生。田中建築事務所から田中土建工業へ。
27歳 終戦。衆議院総選挙に進歩党公認で新潟2区から立候補するも落選。
28歳 第23回衆議院総選挙に民主党公認で新潟3区から立候補し当選。
29歳 長男(4歳)死去。民主党から離党し同志クラブ(のちに民主クラブ)に加盟。民主クラブと日本自由党(党首・吉田茂)が合流し民主自由党へ。
30歳 第2次吉田内閣が発足。田中は法務政務次官に就任。
炭鉱国管疑獄が浮上し賄賂を受け取った疑惑で逮捕される。
衆議院が解散し総選挙となり田中は獄中立候補する。保釈され10日間の選挙運動で再選される。
31歳 民主自由党が自由党となり副幹事長に就任。
炭鉱国管疑獄で東京地方裁判所が一審で懲役6か月・執行猶予2年の判決を下す。
32歳 炭鉱国管疑獄の第二審で逆転無罪となる。
34歳 「越山会」誕生。
36歳 自由党と日本民主党が合流し自由民主党を結党。
39歳 第1次岸信介内閣で郵政大臣に就任。
43歳 自由民主党政務調査会長就任。
44歳 第2次池田勇人内閣で大蔵大臣に就任。
47歳 大蔵大臣を辞任し自由民主党幹事長に就任。
48歳 幹事長辞任。
50歳 幹事長に復帰。
53歳 第3次佐藤栄作内閣で通商産業大臣に就任。
54歳 佐藤派から81人の議員を引き連れ派内派(田中派)を結成。
「日本列島改造論」を発表。
自由民主党総裁に就任。第1次田中内閣が発足。
中国を訪問し毛沢東共産党主席と会談。日中国交正常化が実現。
55歳 第一次オイルショック。
56歳 田中内閣総辞職。三木内閣発足。
57歳 ロッキード事件発生。
58歳 逮捕され自民党離党。保釈。
第34回総選挙に無所属で立候補しトップ当選。
自民党は大敗し三木内閣は総辞職、福田赳夫内閣が発足。
60歳 第1次大平内閣発足。田中が強く支持。
61歳 第35回総選挙でトップ当選。
62歳 第36回総選挙でトップ当選。鈴木善幸内閣発足。
64歳 第1次中曽根内閣発足。
65歳 ロッキード事件の一審判決。東京地方裁判所から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受け即日控訴。「不退転の決意」
第37回総選挙。自民党大敗も圧倒的支持で当選。
66歳 脳梗塞で倒れ入院。以後、政治活動は不可能に。
67歳 ロッキード事件控訴審開始。田中は欠席。関越自動車道全通。
68歳 第38回総選挙。田中は選挙運動が全くできず越山会や支持者が活動しトップ当選する。
69歳 竹下登が経世会を旗揚げ。田中派の大半が参加し田中派分裂。
ロッキード事件の控訴審判決。東京高等裁判所は一審判決を支持し田中の控訴を棄却。田中側は即日上告。
竹下内閣が発足。
71歳 衆議院解散総選挙に出馬せず政界引退。
74歳 中国政府の招待で20年ぶりに訪中し眞紀子が同行。
75歳 第40回総選挙に眞紀子が出馬し初当選。
1993年(平成5年)12月16日死去。
ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる。

肖像画は首相官邸ホームページより

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