ジョン万次郎 年齢年表

歴史上の人物

少年時代にアメリカに渡った経験から英語力を活かし幕末から明治にかけて日米交渉や通訳として活躍した。
本名:中浜万次郎
土佐藩(現・高知県)出身
1827年(文政10年)1月1日生れ

ジョン万次郎 年齢年表

0歳 土佐藩の半農半漁の家庭に生れる。
14歳 漁に出て遭難。無人島で143日で暮らしアメリカの捕鯨船に救助される。
鎖国中のためアメリカの船が日本には近づけず、万次郎本人の希望もありアメリカへ行く。
船中で「ジョン・マン」というニックネームを付けられジョン万次郎となる。
16歳 捕鯨船のホイットフィールド船長の養子となり、アメリカのスクールで英語などを学ぶ。
17歳 フェアヘーブンのバートレット・アカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。
19歳 学校を卒業後は捕鯨船員などをして働く。
22歳 ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで金の採掘の仕事をする。
24歳 ハワイ・ホノルル経由で薩摩藩領の琉球(現・沖縄県)に上陸し帰国する。
25歳 土佐藩へ帰る。藩校「教授館」の教授に任命され後藤象二郎や岩崎弥太郎等を指導する。
26歳 ペリー来航。アメリカの情報収集や通訳のため江戸へ招聘される。幕府直参となり「中浜」の性を授けられ「中浜万次郎」となる。
33歳 日米修好通商条約の批准書交換のための使節団の一員として「咸臨丸」に乗りアメリカへ渡る。咸臨丸の艦長は勝海舟で福沢諭吉も乗っていた。
37歳 薩摩藩の開成所の教授なる。
39歳 土佐藩に開成館が設立され教授となり英語、航海術、測量術などを教える。
42歳 明治政府がら開成学校(現・東京大学)の英語教授に任命される。
43歳 普仏戦争視察団としてヨーロッパへ派遣される。ニューヨークに滞在したときフェアヘーブンに足を運びホイットフィールド船長に20年ぶりに再会する。
44歳 帰国後、病に倒れるも日常生活をおくれるくらいに回復。以後は静かに暮らす。
71歳 死去。

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