長州藩の武士で幕末の思想家。
「松下村塾」を主催し、後に明治維新で活躍する政治家を多数排出する。
1830年(文政13年)9月20日生れ
吉田松陰 年齢年表
4歳 叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となり兵学を修める。
9歳 明倫館の兵学師範に就任。
13歳 長州軍を率い西洋艦隊撃滅演習を実施。
15歳 山田亦介より長沼流兵学の講義を受け、山鹿流、長沼流の江戸時代の兵学の双璧を収める。
22歳 藩からの過書手形(通行手形)の発行を待たず脱藩し東北遊学へ。
会津で日新館の見学や、津軽海峡では外国船を見学しようとする。
江戸へ帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。
23歳 ペリー来航。師の佐久間象山と黒船を遠望観察。
24歳 漁船を盗みポーハタン号乗船に成功するも渡航は拒否され下田奉行所に自首。投獄される。
死罪は逃れるも長州へ檻送され幽囚される。
25歳 出獄を許されたが杉家に幽閉の処分となる。
27歳 叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ松下村塾を開塾する。
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎などの面々を教育する。
28歳 幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことに激怒。間部要撃策を提言する。
29歳 安政の大獄に連座の罪で死罪となる。
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