明治・大正の実業家
銀行や商工会議所など多数の企業や団体の基礎り「日本資本主義の父」と呼ばれる。
2024年発行の1万円紙幣の肖像画の人物。
1840年3月16日生れ
渋沢栄一 年齢年表
0歳 武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)で農家の長男として生れる。
13歳 ペリー来航。
21歳 江戸に出て剣術修行をきっかけに尊王攘夷思想を強める。
23歳 仲間と倒幕を企てるが中止する。一橋家家臣・平岡円四郎の推挙で一橋慶喜(徳川慶喜)に仕える。
24歳 恩師・平岡円四郎が暗殺される。
26歳 徳川慶喜が将軍になったことに伴い幕臣となる。
27歳 徳川慶喜の弟・徳川昭武が万国博覧会に出席するため随員としてフランスへ。フランスで大政奉還を知る。
28歳 帰国。静岡藩に出仕。フランスで学んだ知識を活かし株式会社や商法会議所を設立。
29歳 民部省に出仕。度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。
31歳 民部省が大蔵省に統合。
33歳 予算編成を巡り大久保利通や大隈重信と対立し井上馨と共に大蔵省を辞める。
日本最初の銀行、第一国立銀行(後の第一銀行、第一勧業銀行、現・みずほ銀行)を設立。
王子製紙株式会社設立。ガス事業計画。
34歳 生活困窮者救済事業、養育院(現・東京都健康長寿医療センター)を設立。
35歳 生糸貿易開業。
36歳 石川島平野造船所(現・IHI、いすゞ自動車、立飛ホールディングス)に出資支援。
秀英舎(現:大日本印刷)創業。
38歳 東京商法会議所(後の東京商工会議所、日本商工会議所)を設立。
39歳 東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険)創業。
41歳 日本鉄道会社(現・JR東日本)理事委員となり設立に参画。
42歳 共同運輸会社を設立し三菱財閥の日本郵船の独占に対抗。
東京電灯会社(現・東京電力)、大阪紡績会社(現・東洋紡)設立。
43歳 浅野セメント工場(現・太平洋セメント)創業を支援。
45歳 ジャパンブリュワリー(現・キリンホールディングス)設立。
47歳 清水組(現・清水建設)相談役に。
東京人造肥料会社(現・日産化学)設立支援。
東京ホテル(現・帝国ホテル)発起人総代および理事長。
札幌麦酒会社(サッポロホールディングス)取締役就任。
48歳 古河市兵衛の足尾鉱山組合(現・古河機械金属、古河電気工業、富士通、富士電機、横浜ゴム)設立支援。
52歳 東京帽子(現・オーベクス)取締役会長。
55歳 東洋経済新報の創刊支援。日本精糖(現・大日本明治製糖)発起人および取締役。
56歳 汽車製造(現・川崎重工業)創立、浦賀船渠(現・住友重機械工業)相談役。
57歳 澁澤倉庫部(現・澁澤倉庫)を自邸倉庫を使った家業として創業。
58歳 十勝開墾合資会社を設立。
66歳 京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)創立委員長。帝国劇場会社(現・東宝、東京会館)創立委員長。
68歳 癌研究会(現・がん研究会、がん研有明病院)設立。
69歳 日本皮革(現・ニッピ)発起人。実業界からの引退を表明。渡米し大統領と会見。
72歳 ニューヨーク日本協会協賛会を創立。
74歳 日中経済界の提携のため中国を訪問。
91歳 老衰により死去。
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